「医師」を目指すなら秀明学園だから出来る徹底したサポートが、医師への最短コース。

秀明学園では、日々の中で生徒に向き合い徹底サポートし、先伸びする教育を実践しています。寮生活で身につく人間性や基本的なコミュニケーション能力を強みとするほか、医学部受験のために蓄積されたノウハウなどの実績が評価され、全国から生徒が入学しています。
さらに、もともと特徴であった英語教育を強化、秀明中学校で2016年新設の「スーパーイングリッシュコース」は医師にも欠かせない英語力をパワーアップ、後継者育成を考えるご父母やグローバルリーダーとして活躍したいお子様に、おすすめいたします。

学校説明会・イベントスケジュール

学校見学会・説明会・進学面談

高校
  • 2016年12月10日(土)12:00(予定)〜

昼食(寮での食事)をご用意します。(要申込)

授業見学

中学校・高校とも
毎週月曜日及び金曜日(学校休業日を除く)

各日とも11:00〜14:00の間にご自由にご来校ください。
ご希望の方には昼食(寮での食事)をご用意します。(予約制)

公開行事

体育大会
体育大会は終了しました。
文化発表会
文化発表会は終了しました。

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)

「『医師』を目指すなら秀明学園」の理由とは?

全寮制で培われる対人関係能力が 医師のキャリアに確実に活かされます

現在、医学部4回生には「客観的臨床能力試験・OSCE(Objective Structured Clinical Examinationオスキー)」が課せられます。
これは臨床実習を行う医学生の中に必要な学力に加えて診察態度や基本的な診察能力を持っていない学生が多いという批判から導入された制度です。実際、数年前にはこのOSCEに落ちる医学部生が続出するという事態も起こりました。これは、あまりにも社会性をもった人材が少ないことを示しています。
今後の医学部入試では、協調性や誠実さなどをはじめ、対人関係能力やコミュニケーション能力が備わっているかを判断する面接試験の比重が大きくなると予想されます。
医学部受験対策からその後のオスキー対策、さらには医師となってからも重要なこれらの能力を、日頃の生活習慣の中で身につけることができるという点では、多感な少年期からの寮生活は最も理想的な環境といえるのではないでしょうか。
キャリアカウンセラー、厚生労働省指定キャリアコンサルタント・クロイワ正一 

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)
2、きめ細かな学習指導で資質を伸ばす

教科指導は徹底した到達度別学習法を取り入れ、学習者(生徒)一人ひとりの実力を確かめ進学目標に対応した最適な学習指導をしています。
特に「秀明博士」や「躍進賞」「努力賞」は、「知るよろこび」と「学ぶ楽しさ」を実感させ、意欲をもって学習に専念できる制度です。

さらに

社会で活躍する医療関係者や本校から医学部へ進学した卒業生による講演会を定期的に開催し、医療問題に関する見聞を広めるとともに、進路希望をより明確にさせます。

横山泰孝さん
秀明高等学校第19回生
順天堂大学医学部附属浦安病院心臓血管外科助教

2016年、秀明中学校に「スーパーイングリッシュコース」誕生

「英語よければすべてよし」をモットーに、1978年の開校以来、英語教育に力を注いできました。経験豊かなイギリス人の先生が多数在籍、日本人の先生と息の合ったチームティーチングで、生徒の英語力を伸ばしたノウハウと経験を生かして、来春新たに「スーパーイングリッシュコース」を設置。
今、大きな期待が寄せられています。

3、これまでの進学者数

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)

「秀明だから、良かった。」夢を叶えた先輩達

横須賀共済病院 耳鼻咽喉科部長 鈴木一雅さん【3回卒業生】
横須賀共済病院 耳鼻咽喉科部長 鈴木一雅さん【3回卒業生】

1966年、千葉県生まれ。1978年、開校と同時に秀明中学校に入学。92年、千葉大学医学部を卒業。千葉大学医学附属病院にて研修医を経験した後、成田赤十字病院、君津中央病院で勤務。その後、千葉大学大学院に入学し、医学博士号を取得。再び君津中央病院、都立駒込病院を経て、現在は、横須賀共済病院に勤務、耳鼻咽喉科部長を勤める。

秀明で培った自立心が
医師の仕事に活きています。

当時の仲間たちは今でも大切な生涯の友

 両親が千葉県で耳鼻咽喉科の病院を開業しており、多忙を極める様子を見ながら育ちました。私は3人兄弟の長男で、親と同じ医師をめざしていたのですが、地元には希望する学校がなく、両親が探してきてくれたのが秀明中学校でした。
 入学直後から「毎日が修学旅行」状態で、寮生活は楽しかったですね。文字どおり24時間集団行動で、寝食をともにするわけですから、仲間とは本当に親しくなります。
 毎日のスケジュールが厳密に決められていた寮生活ですが、自由時間もありました。そんなときは体育館でスポーツに興じたり、友人と語り合ったり。常に身近に同級生の姿があり、日々の楽しみを共有した記憶が数多く残っています。
 秀明の仲間とは、今でもよく集まりますよ。医師になった人が多いので、気心が通じ合えることも大きいのでしょう。
横須賀共済病院にも秀明の2学年後輩が医師として勤務しており、とても気やすく声をかけ合える存在です。

生徒の興味をかきたて、勉強への意欲を引き出す

 規律正しい生活が身につくという面でも、寮生活は正解でした。食事は3食出されたものを何でも食べるようになり、好き嫌いがなくなりました。たまに羽目を外して浴場で騒いだりすると、寮監の先生に叱られることもありました。そういう意味でも生活指導は厳しく、その厳しさに打ち勝っていくことが強い精神力につながったのだと思います。
 もちろん、勉強するための環境はしっかりと用意されていました。朝から夕方まで内容の濃い授業を受け、夕食後には夜間学習がありました。寮生活では先生との距離が自然と近くなる分、勉強への意欲も増していった気がします。
 英語教育は当時から他校よりも進んでいて、オックスフォード大学出身の英国人の先生に教えていただきました。授業の教材としてビートルズの楽曲を使用するなど、10代の生徒たちの興味をかきたてる工夫がされていたのを覚えています。それ以来、英語が好きになり、ビートルズのコピーバンドを結成し、文化発表会で演奏したこともありました。

自ら考え行動した経験が様々な場面で役立つ

 医師となって20年あまり経ちますが、秀明学園で学んだことは今でも様々な場面で役立っていると感じます。医師は自分で判断し、自分で切り抜ける場面が多い仕事です。とくに私は地域の中核病院に勤務していますので、個人医院や診療所で対応できない重症の患者さんや手術が必要な患者さんに日々向き合っています。こうした臨床の現場では瞬時の判断が求められ、自らの信念にもとづいて治療を全うしなくてはなりません。この「自分で考え、自分で切り抜ける力」は、秀明学園だからこそ培うことができたのではないかと思います。
 実際、寮生活では自分で考えて行動することが多く、自立心が自然に養われていきました。
 例えば、定期試験のシーズンになると、「朝の5時に起きて勉強しよう」と誰ともなく言い出します。「早朝5時に起きるためにはどうすればよいか」を仲間で考え、朝に強い同級生を「起こし係」に任命。声をかけて起こしてもらい、早朝勉強に精を出しました。
 また、私は開校と同時の入学でしたので、学内には生徒会がありませんでした。
そこでゼロから生徒会を立ち上げ、初代生徒会長を務めました。部活動はバスケットボール部に所属し、いつのまにかキャプテンに。生徒会長やキャプテンなどリーダー役が回ってくるのは、声が大きいことが一番の理由でしょう。それに、頼まれると断れない性分がそうさせているのかもしれません。
 結局、バスケットボールは中高6年間だけでなく大学に入っても続け、計12年間も汗を流していたことになります。在学中は県大会にも出場したことを考えると、決して「勉強漬けの学園生活」だったわけではありませんでした。

子どもに甘くなりがちなこの時代だからこそ秀明

  これからお子さんを秀明学園に入学させようと考えられている方には、寮生活の良さをぜひお伝えしたい。10代の多感な時期に過ごす寮生活は、お子さんの人生にとって学ぶことが非常に多いはずです。私自身、自立心を養うことができましたし、同世代の仲間と濃密な人間関係を築くことで協調性やコミュニケーション力がつきました。
 現代は核家族や共働き家庭が増加してきたため、親も子どもと接する時間が短くなっているように思います。そのため家庭での教育がなかなかきちんとできていないケースも多いようですが、寮生活ならば成長期の子どもに欠かせない適度な厳しさを与えてくれます。
 私自身は寮生活について家族と深く語り合ったという記憶がないのですが、2人の弟が「自分も寮生活をしてみたい」と言い出し、1人は秀明学園を、もう1人も寮生活ができる学校を選び、6年間有意義に過ごしたようです。きっと私が秀明での学園生活について楽しそうに話していたのを見聞きしていたからなのでしょうね。

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)
帝京大学医学部附属 溝口病院 皮膚科医 長谷 翠さん[22回卒業生]
帝京大学医学部附属 溝口病院 皮膚科医 長谷 翠さん[22回卒業生]

1985年、埼玉県生まれ。秀明中学校・秀明高等学校を経て、2003年に順天堂大学医学部へ進学。09年同大学を卒業し、順天堂大学医学部附属浦安病院にて研修医を勤める。11年、順天堂大学医学研究科皮膚科学・アレルギー学研究室に入局、附属練馬病院の皮膚・アレルギー科を経て現在に至る。

秀明には生徒を成長させる
ノウハウが蓄積されています。

全国から仲間が集い、自分の世界も広がった

 両親とも医師という家庭に育ち、子どものころから自然に医師をめざすようになりました。秀明中学校に入学したのは、「医療系大学への進学に強い中高一貫校がある」と聞いて、学校見学に行ったことがきっかけでした。新築間もない女子寮がとてもきれいで、「ここで勉強してみたい」と憧れに似た気持ちを抱いたことは鮮明に覚えています。
 入学後の寮生活では、毎日が友人と一緒で本当に楽しかったですね。1日のスケジュールが厳格に決まっていましたが、部活動中や夜間学習後の自由時間など、おしゃべりできる時間もありました。寮生活といっても社会と隔絶しているわけではなく、食事中にテレビでニュースを見たり、新聞を読んだりできましたので、話題の幅もそれなりにバラエティーに富んでいたと思います。寮には全国から生徒が集まるので地方色もあり、休暇明けにはお土産を持参して故郷の話を聞かせてくれるので、中学生の私には世界が広がったような気がしました。
 今は1人暮らしをしているのですが、寮生活が懐かしいですね。1人より友人と一緒の寮のほうが絶対に楽しい。心からそう思います。

志望大学合格に向けて全校体制のバックアップ

 秀明で学んだ最大の利点は、「勉強するための環境が整っている」ことだと思います。授業はもちろん、寮に帰った後も私たちが復習しやすいように、先生方はその日の授業内容をレジュメにまとめてくださいました。また、自習していて疑問点が浮かんだらすぐに職員室へ行き、先生方に教えていただけました。これは、自宅学習では決してできないことですよね。
 何よりも、寮では同級生全員が机に向かっていました。1人だけ別のことをしようにもテレビや雑誌もありませんし、おしゃべり相手の友人も勉強中。私も、自然と学ぶようになりました。
 秀明では生徒が受験する大学を決定すると、その大学に進学した卒業生を学校に招いて受験対策講座を開いてくれました。先輩たちの話は何より参考になりましたし、先生方が過去問題を用意してくださり、模擬集団面接を実施していただくなど全校をあげてのバックアップ体制が整っているので、とても安心感を得られたことが印象に残っています。

「心の学習」で育んだ人を思いやる気持ち

 私が皮膚科医をめざしたのは、子どものころ、自分自身がアトピー性皮膚炎に苦しみ、同じ悩みを持つ患者さんの役に立ちたいと思ったからです。アトピー性皮膚炎はとてもつらい病気ですし、その苦しさを自分自身が経験したことで、患者さんにもより優しい気持ちで親身に寄り添えるはずです。
 人を気遣う。相手の立場になって考える。そんな思いやりの心は、秀明での教育や寮生活で育まれました。私は、もともとコミュニケーションが得意ではなかったのですが、寮生活を通して毎日同級生と接するうちに、自然と相手の気持ちを考えられるようになっていました。
 また、秀明では「心の学習」の時間があり、感謝やいたわりの心を学びます。あるとき、「いじめの問題について考えましょう」という課題が出されました。もちろん、いじめはあってはならないものですが、とても根が深く、解決が難しい問題です。この難問に「心の学習」で正面から向き合い、自分なりに考えをまとめたのですが、これが後々役に立ちました。ある大学を受験した際、小論文のテーマに「いじめ」が取り上げられたのです。こうした難解なテーマは、一高校生にはなかなか消化しきれないもの。授業で考える機会があったのも、秀明ならではなのでしょうね。

将来の道について、自覚を促してくれた

 これからお子さんを秀明に入学させようと考えられている保護者の方々の中には、寮生活を不安に思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし、秀明には30年以上にわたる全寮制のノウハウが蓄積されていますので、安心してお子さんを預けることができます。
 例えば、キャンパスにある「秀明の塔」に全生徒が「誓いのことば」を納める行事があります。中学入学時と高校進学時に目標を書き記したものを納めるのですが、これが自分の将来を考える良いきっかけになりました。中学入学時の私は将来のことをあまり考えておらず、同級生の真似をして「東京大学に入る」と書いたように記憶しています。しかし、高校進学時には将来像が明確になっており、「医師になる」と自分の意思で書きました。では、医師になるためには何をすればよいのか。目標が定まれば、高校生なりに考え行動するようになります。
 中学と高校の6年間は、これといって行動を起こさなくても時間だけは確実に過ぎていくものです。しかし、秀明では常に将来の進む道について問われるので、自発的に行動するようになりました。貴重な10代に時間をムダにしなかったことを、私は今とても感謝しています。

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)
荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】
青山社中(株)筆頭代表 秀明大学客員教授 朝比奈一郎さん【11回卒業生】

水越 奈津樹さん(埼玉医科大学医学部)1993年生まれ。秀明中学校・高等学校を経て、2011年に埼玉医科大学入学。
水越 哲也さん(水越医院 院長)
1965年生まれ。80年に秀明高等学校入学。埼玉医科大学を卒業後、埼玉医科大学第二内科呼吸器科に勤務。2000年より現職。

寮生活で育み、磨かれた
人間関係を構築する力。

寮生活のおかげで人に伝える能力が格段に伸びた

娘・奈津樹:私が秀明中学校を選んだのは、お父さんの勧めだったのです。個別指導が充実していて、医師をめざすならここが良いって。
父・哲也:私のときは、「おまえは自由にしすぎると勉強しないから」と両親に勧められて入学したんだ。結果として、秀明で学んで正解だったと思う。奈津樹も地元の学校に進むと、どうしても「水越医院の娘」という肩書きがついて回るけれど、全国から生徒が集まってくる秀明なら、同じ目標を持つ仲間と切磋琢磨できる。ただ、女の子だったし、12歳で親元を離れての寮生活は少し不安があったけどね。
娘:私は、逆に寮生活が楽しみだったよ。コミュニケーション能力がつくんじゃないかな、と思って。
父:確かに、人に思いを伝える能力は秀明の6年間でかなり進歩したね。今は自分の意思を自分の言葉で表現でき、考えをまとめてから親に相談してくる。わが娘ながら成長ぶりに驚いたよ。
娘:伝える力は人と接することでしか育たないし、全寮制だからこそ人と深く関われたのだと思う。友だちとは1日中一緒にいるから、時にはお互い本音を言い合うこともあったけれど、その後は相手のことがより深くわかりあ合えるようになったよ。お互いに短所を知ったうえで友人としてつき合えるということは、本当に信頼できる、家族同然の友人だと思う。

親元を離れて感謝の気持ちがより深くなる

娘:寮生活で友だちとよく話題にしていたのは、「秀明に入って親への感謝の気持ちが強くなったね」ということ。寮に入るまでは家事をしたことがなかったから、「お母さんって、こんな大変なことを私たち家族のためにしてくれていたんだね」「両親は私たちのことを本当に考えて秀明を選んでくれたんだね」と友だちとうなずき合ったりしていたよ。親と離れてこそ気づくことが多いとわかった。
父:お父さんの時代は男子校だったから今と状況が違うけれど、女子だからこそ厳格なセキュリティーで寮生活を管理してくれるだろうという期待もあったんだ。奈津樹の様子を見ていると、実際そのとおりだったね。
娘:私は何の不安もなく寮生活を送ることができたし、先生方や寮母さんには本当にお世話になりました。寮母さんは皆さん優しくて、いろいろな相談に乗ってくださったの。体調が悪いときは、自室ではなく、寮母室の隣にある療養室で休むんだけど、寮母さんが1日中見守ってくださって、とても安心だった。寮母さんを「お母さん」と呼んでしまったこともあるくらい、心から信頼していました。

お世話になった秀明の先生方に娘を託したい

父:先生方も熱心に指導してくださったね。家にも週末課題を山ほど持ち帰って、よく勉強していたようだし。
娘:とくに受験が近づくと、担当の先生が、生徒全員に個別の週末課題を毎週のように作成してくださって、封筒に「水越奈津樹さん用」と書いてあるから、「これはやらなければ」と。埼玉医科大学用の問題も用意してくださって、それをこなすだけでもとても勉強になったよ。しかも、本番の受験ではよく似た問題が出題されたから、感謝の気持ちがますます深まりました。

病だけでなく患者さんの痛みを理解できる医師に

父:今、奈津樹は医大生として医学を学んでいるけれど、毎日がとても充実しているみたいだね。
娘:希望していた学部だから、勉強も自分から興味を持って積極的に進められるよ。
父:大学生活では1人暮らしをするようになり、最初はホームシックにもなったね。
娘:秀明では、寮生活だったからホームシックにならなかったんだけど。でも、もう慣れました。
父:お父さんとしては、まだまだ心配だけどね。ところで、今後は医師をめざすわけだけれど、医師は患者さんの病気を診るだけでなく、その患者さんの痛みも理解し、対応できるようになることが大事なんじゃないかな。
娘:お父さんのその言葉、いつも私の胸の中にあります。人間性を知るという意味でも、秀明の6年間で人を深く知ることができたのは本当に良かった。普段は恥ずかしくて言えないけれど、両親には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。とくにお父さんは医師としても大先輩なので、本当に心強い存在です。これからもっともっと頑張って、医師になって両親に恩返しをしていきたいです。

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)
荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】
荒井歯科医院 副院長 荒井淳次さん【17回卒業生】

1980年、埼玉県生まれ。秀明中学校・秀明高等学校を経て、2004年に東京医科歯科大学歯学部を卒業。東京医科歯科大学歯学部附属病院義歯外来専攻生を経て、2006年同外来医員に就任。2008年より同外来非常勤講師などの勤務をこなすかたわら、荒井齒科醫院(埼玉県飯能市)での診療を開始。現在は同院・副院長として地域の歯科医療に携わる。

秀明なら間違いない。
自信を持って断言できます。

鍛えてもらうつもりで秀明に入学させた両親

 実家は1900年から代々続く歯科医院で、私が5代目に当たります。幼稚園卒園時の寄せ書きに将来の夢を「はいしゃ!」と書いてありましたから、物心つくころには歯科医師になるのが当然と考えていたようです。医院の2階が自宅ですから、父の働く姿を見て憧れを抱いていたのかもしれません。

 秀明中学校は、両親に勧められて選択しました。ハイレベルな私立中学校は当時から複数存在しましたが、「医療系大学への進学率が高い中高一貫校に入学させたい」と両親は考えたようです。入学して、寮生活に慣れるまでは苦労しました。テレビもマンガもゲームもない毎日。とくにゲームが大好きな子どもでしたので、当初は我慢の連続でした。ただ、4人部屋(当時)で同級生とともに過ごすのは楽しく、毎晩いろいろな話をしていましたね。

 母は、私が早生まれで同級生に比べて身体が小さく、少食であることを気にかけていたようです。しかし、秀明で鍛えてもらうつもりで入学させたと後日知りました。

朝から晩まで勉強ひと筋。でも「良い厳しさ」だった

 秀明では、医師や歯科医師をめざす人が多く、私とよく似た環境で育った同級生が少なくありませんでした。もともとは医療系の大学をめざしていなかった同級生の中には、周囲に感化されて医師を志すようになった人もいました。

 校内には、勉強するための環境が完備されていたため、入学後は私も勉強ひと筋になりました。今振り返ってみても、あのころは本当によく勉強していたと思います。しかし、同級生も私と同じぐらい勉強しているわけですから、それが当然という感覚でした。生活指導も厳しく、よく先生方のお叱りを受けましたが、成長期の子どもが必要とする「良い厳しさ」でした。

 母が気にかけていた少食も、規則正しい寮生活のおかげで徐々に改善され、3度の食事はもとより、夜間学習後に出されるパンと牛乳の夜食も完食できるようになりました。また、秀明では男子でも茶道の授業が必修とされていて、礼儀作法を教わります。長時間の正座はつらいですが、出されるお茶菓子が美味しいので、秘かな楽しみだったことを覚えています。厳しい中にも、楽しみや喜びがある寮生活でした。

 一番の思い出は、中学3年生で参加したイギリス英語研修です。ヒルダーストンという小さな港町で6週間ホームステイをしながら、専用施設に通いました。高台から望む海がとても美しい町で、初めての海外だった私には見るものすべてが新鮮に映りました。ホストファミリーとの英語でのコミュニケーションはスムーズでしたし、歯学部進学後の英語論文に対してもさほど苦労しなかったのは、独自の英語教育のおかげだったのでしょう。

夢は地域の虫歯・歯周病患者をゼロにすること

 歯科医師としての大きな夢は、「地域の虫歯・歯周病患者をゼロにする」こと。実現不可能な夢と言われるかもしれませんが、虫歯や歯周病の知識がない方がまだまだ多いので、まずは啓蒙活動を地道に続けていくべきだと考えています。そのため、初診ではしっかりとしたコンサルティングを実施し、患者さんが納得されるまで何度でも丁寧に説明するように努めています。その一方で、少しでも歯科医院に親しみを持っていただこうと、スタッフ全員が白衣ではなくカラフルなポロシャツを着用するようにしました。また、院内に熱帯魚の水槽を置いたり、心を和ませるインテリアにしたり、子どもたちが進んで通いたくなるような町の歯医者さんをめざしています。実際、診察室に入るだけで泣いていた子どもが、何度も通ううちに通院を楽しみにするようになった例も少なくありません。

歯科医をめざす息子も母校に入学させたい

 秀明で得た一番の財産は、人とのコミュニケーション能力です。12歳で集団生活に飛び込み、人と関わらずには生きていけない環境に身を置いたことは、地域の患者さんと毎日関わる歯科医師になった今も自分に良い影響を与えていると思います。しかも、秀明には全国から生徒が入学してくるので、早い時期から様々な人と接する機会をいただけて視野を広げることにも役立ちました。

 同級生とは四六時中ともに過ごすので、本当の家族のようになります。私の場合、一緒にイギリス研修に参加した仲間と今も親しいつきあいが続いています。私には今年3歳になる息子がおり、「ボク、はいしゃになるの」と言っていますので、ぜひ秀明に入学させたいですね。仲間にも同年代の子どもが多いので、「親子2代で同級生になるかもしれないね」という話で盛り上がっています。

 私たち卒業生が母校に子どもを入学させたいのは、「秀明なら間違いがない」と思うからです。勉強に対する環境の良さはもちろん、親として信頼ができるのは秀明だと確信しています。勉強も寮生活もすべて「良い厳しさ」であり、一時的に子どもが反抗することがあったとしても、後から振り返れば必ず「厳しくしてもらえて良かった」と思うはずです。私自身がそうでしたし、私の両親の選択も正解だったのだと改めて実感しています。

資料請求はこちら 見学会参加はこちら
資料請求はこちら
見学会参加はこちら
お電話のお問い合わせ:049-232-3311(入試室直通)